安全を基盤に保育現場をもっとオープンな場に【小阪由佳】

子育てはうれしいことや楽しいことばかりではなく、ときには悩んだり、孤独に感じることだってあります。

家族みんなが笑顔で心身ともに健康で過ごすためにも、ときには何かに頼ることも大事。

「the kindest mama」は、育児や家事、仕事を頑張る人たちのストーリーを通じて何かに頼ることへのネガティブな想いを減らし、愛するわが子の身体と心、家族の絆をつくる食育の大切さを伝える、世の中のママパパを応援するインタビュー企画です。


今月の「the kindest mama」は、保育園の支援やタレント事務所などの事業を展開する会社「cheer lead」の代表で元タレントの小阪由佳さん。

芸能界引退後、保育園の立ち上げを経験した小阪さんに保育業界に携わることになったきっかけなどを伺いました。

我慢することが当たり前だった幼少期

幼少期は、3歳年上の兄がアトピーやぜんそくの症状があったこともあり、両親ともに兄に時間を割いていたと記憶しています。

誰が悪いというわけではないのですが、そんな両親の姿を見ていてなんとなく、自分はわがままを言っちゃいけないみたいな気持ちが常にあり、割とおとなしい子どもだったと思います。

私が4歳の時に妹が生まれました。
赤ちゃんの存在がとってもかわいくて、抱きしめたり、ほっぺにすりすりしたりと毎日追いかけまわしていましたね。
寝ているときもお構いなしだったので、母によく「起こさないで」って注意されました(笑)

でも成長するにつれて、末っ子の妹が親や親戚にかわいがられているのを見て、なんで私のときと対応が違うのと思うことも結構あって。腹が立ってケンカもよくしました。

私がタレントになってからインタビューを受けた母が「手のかからない子でした」と言ったのが印象に残っています。

3きょうだいの真ん中で過ごした経験もあり、小さいながらになんとなく自立が求められているんだろうなと自覚していました。
それが行動にも表れていたんでしょうね。

渋谷でのスカウトがきっかけに芸能界に

高校生の時に渋谷でスカウトされたことがきっかけで芸能界入りしました。

当時流行っていたアイドルのオーディション番組に友達とふざけ半分で応募するなど、人並みにアイドルに憧れはあったのですが、「絶対に芸能界に入る」という強い意思はなかったんです。

高校卒業後は保育士になることも考えたんですが、専門学校行くにしても親に負担をかけるからやめようと。
当時は就職氷河期で、やることが決まらず焦っていた時のことだったので半ば「ラッキー」みたいな気持ちでしたね。
声をかけてくれたスカウトが同じ中学校の出身だったという偶然も後押ししたかも(笑)

親に相談したところ、特に止められることもなく背中を押してくれました。

良い意味で放任主義というか、私がやりたいことは、人に迷惑をかけるものでなければ基本的に認めてくれたのでとても感謝しています。

うつ病で芸能界を引退 幼少期にあこがれた保育現場へ

当時の私は運がよく、あまり下積みもなくテレビなどの仕事をたくさんいただけるようになりました。

でも、流れるように芸能界に入ったこともあり、1つ1つの仕事で結果を残さなきゃいけないプレッシャーに勝てないことなどが重なり、うつ病になってしまいました。

次の仕事を探すにしても、高校から芸能界に入ってしまった私は何をしようかとても悩みました。

そんなとき、将来の夢について書いた幼少期の文章を見つけたんですよね。
そこにはアイドルと保育士などが記載されていて…

流されるがままにやっていたと思っていたタレントの仕事も、実は自分がやりたいことを選択していたんだと気づかされました。

それで、どうせ仕事をするなら昔したかった子どもと触れ合う仕事に就こうと。

最初は子供服を売るアルバイトをしたのですが、やっぱり直接子どもと触れ合いたいなと思うようになって、保育業界を本格的に志すことになりました。

保育士の仕事探してみたら保育補助という仕事なら資格がなくても働けることを知って、応募しました。

憧れだった保育現場へ、実感した理想と現実のギャップ

子どもはかわいく、保育の仕事はとても楽しかったのですが、
現場での経験を重ねるにつれ、安全面からどうしても閉鎖的になりがちな状況を見て「もっと外部と触れる機会があった方が良いんじゃないかな」などと思うようになりました。

でも資格もないし、自分はそれを変える権利もない…
そう考えたときに自分の理想とする保育園を作った方が早いと思ったんです。

保育園を作るには多額のお金が必要で、1年間資金集めに奔走しました。
何から始めて良いかもわからなかったので、いろんな人に会い、とにかく自分の考えを聞いてもらいアドバイスをもらい続けました。

今考えると熱量だけで動いていましたね(笑)
そんななか、運よくある会社が保育園を作るタイミングと重なり、監修という形で立ち上げに携わらせていただきました。

うつ病になったとき、自分自身を見つめ直そうと、我慢しがちだった幼少期のことを振り返ったんです。

我慢していたということは、本当は自我が強いということだということに行き着きました。
言えない自分を変えなければ一生このままだと思い、行動したことが夢の実現に結びついたと思います。

今は私が保育園を始めたころよりに比べて、保育を取り巻く環境も大分改善されたと思います。
これからも何らかの形で保育現場をサポートできればうれしいですね。


<プロフィール>
小阪由佳
「cheer lead」代表

神奈川県出身。2004年に芸能界デビュー。現在は、芸能事務所や保育園を支援する事業などを手掛ける「cheer lead」の代表を務める。

▶️Instagram:@kosakayuka0627
▶️Twitter   :@_yuka_ch